●天府事变 - This Is China
2016/06/28 に公開
『
WORLD VIDEO配信日時:2016年7月6日(水) 14時44分
http://www.recordchina.co.jp/a144094.html
中国は邪悪な場所ではない
=中国若者が斬新なスタイルで理解呼び掛け、
海外メディアも注目したが…
2016年7月5日、中国の若者が英語のラップ調で中国の問題を提起している動画が話題になっており、米国や英国の大手メディアも取り上げた。
ところが、作者の本意に反し単純な中国批判の報道が見られていると環球時報が伝えた。
「This is China」と題した動画は、中国の20代の若者が作曲したもので、4人組のグループはラップで中国の環境汚染問題や政治家の汚職問題、食品・医薬品の安全問題などを提起した上で、
「この国には多くの問題が存在するが、
中国はすでに大きく発展し、同様の問題が再発しないよう努力している。
中国で最も早く富を手にして人たちは良い教育を受けられなかった人が多い。
だが、今の若者は向上心がある一方でとても友好的だ。
中国は人と争いたくない。
紅い巨龍(中国)は邪悪な場所ではなく平和な場所である」
と語りかけた。
作曲者の本意は、本当の中国の姿や若者の考えを理解してほしいという点だが、
欧米メディアは共産主義青年団(共青団)が関わっている点に注目した。
作曲者と製作に協力した共青団の担当者は
「共青団とは協力関係であり、政治的なつながりも意図もない」
と説明しているが、
海外メディアは「中国共産党の宣伝」との見方が強かった。
こうしたネガティブ報道に関して作曲者は、
「理解してくれる人はきっといる。
今の若者はテレビを見なくなっているが、国の政治に興味がないということではない。
政府は反省し変わる努力をしている。
多くの人にその事実を知ってほしい」
と語っている。
動画に対しては中国の若者から肯定的な意見が多く、
「斬新なスタイル。
冷静に中国の問題を指摘し、中国の成果を評価している」
との声も聞かれている。
』
中央社フォーカス台湾 8月6日(土)18時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160806-00000009-ftaiwan-cn
世界「評判のいい国」ランキング、
台湾が25位維持 アジア首位は日本
(台北 6日 中央社)米国のコンサルティング会社、レピュテーション・インスティテュートはこのほど、2016年度版の「評判のいい国・地域」ランキングを発表した。
台湾は70カ国・地域中25位
で昨年の順位を維持し、
米国(28位)や
中国大陸(57位)を上回った。
アジアトップは世界14位の日本
だった。
ランキングは主要先進8カ国(G8)の4万8000人が調査対象の国・地域を、訪問先としての安全性や政策の先進性など16項目の基準で評価し、70カ国のランク付けを行ったもの。
世界1位はスウェーデンで、
昨年首位のカナダは2位に後退した。
3位~10位は
スイス、
オーストラリア、
ノルウェー、
フィンランド、
ニュージーランド、
デンマーク、
アイルランド、
オランダ
で、北欧・スカンジナビアから4カ国がトップ10に入った。
最下位はイラク。
また、自国に対する評価と他国からの評価の差が最も大きかったのは65位のロシア。
自国民によるスコアは80.8で、1位のスウェーデンが得た78.34(全体)より高かったが、全体でのスコアは39.82にとどまった。
』
これによると中国は70カ国中54位という。
そんなところかな、といったことになりそうである。
『
現代ビジネス 2016年07月08日(金) 安田峰俊
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49063
<前編>元中国共産党エリート官僚の告白
「中国の民主化運動は、こうして習近平政権につぶされた」
■証言から浮かび上がる、習近平政権の危うさ
東シナ海での中国軍艦による領海侵犯や、中国軍機が自衛隊機への攻撃動作を仕掛けたことが一部で報じられるなど、中国はここ数か月間、日本に対して極めて威嚇的な行為を繰り返すようになった。
また、国内政治の面でも人権派弁護士の大量拘束や、メディア関係者への締め付けに代表される言論統制の強化が進み、中国国内の知識人の間には重苦しい空気が垂れこめている。
こうした習近平政権の締め付けに耐えかね、約2年間におよぶ中国国内での逃亡を経て、2015年2月にタイへ亡命した顔伯鈞という民主活動家がいる。
かつて党内の若手エリートでもあった彼は、今年6月20日に逃亡の経緯を記した手記『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)を日本で刊行することとなった。
中国本土の各省をはじめ、香港やチベット、ミャンマー国境の軍閥支配地まであちこちを逃げ回るストーリーは、まさに驚くべきものだ。
詳しい逃亡の経緯は書籍の内容に譲るとして、本記事では元エリート党員で元官僚でもあった顔伯鈞に、往年の中国国内での民主化運動や中国共産党の内部事情、現在の習近平政権の性質について語ってもらうことにした。
彼の逃亡記の編訳者でもある私(安田峰俊)との対談で浮かび上がるのは、国内外に強面(こわもて)で望む習近平政権と共産党体制の、意外なまでの不安定さと危うさであった――。
■北京から逃亡した理由
――まずは改めて自己紹介と、逃亡のきっかけについてご説明をお願いいたします。
顔:
私の名は顔伯鈞。
1974年湖南省生まれで、かつては中国共産党員として中央党校(党の最高教育機関)政治経済学専攻の修士課程で学び、その後に地方政府の秘書や、北京工商大学の副教授として働くなかで、民主化陣営に身を投じた人間です。
ながらく当局に追われ続け、いまやタイで「不法滞在」の政治亡命者の身です。
ずっと党費を払っていませんから、すでに党籍は消えているでしょうね。
逃亡のきっかけは、2012年の春から活発化した「新公民運動」という体制改革運動でした。
法学者で人権活動家の許志永氏(現在は懲役4年)の提唱で始まった運動です。
中国の社会問題を考えたい市民が、ネットの呼びかけに応じて月に1回の「食事会」を開く活動が主で、一時は中国全土で約10万人が参加する大きなムーブメントになったものです。
2013年初頭からは、仲間たちで街頭に出て、党官僚の財産公開を要求する横断幕を掲げる活動もおこないました。
しかし、これに先立つ2012年末ごろから、習近平政権が運動を警戒しはじめました。
やがて2013年4月に、親しい活動仲間が次々と拘束される事態が発生。
私はこれを見て、北京からの逃亡を選びました。
■権力闘争に巻き込まれ…
――穏健な「食事会」と街頭活動を理由に弾圧とはひどい話です。
しかし、中国において社会運動がこうした結果を迎えることは、想像に難くないとも言えます。
恵まれた地位にあったあなたが、なぜそんなに「危険」な運動に関わったのですか?
顔:
弾圧の直前まで、「危険」という認識は薄かったのです。
私たちは党体制に公然と反対する主張は打ち出さず、完全に現在の中国の法律の枠組み内で活動をしていました。
客観的に見れば、弾圧を受ける根拠はまったくなかったですからね。
私が2013年1月に仲間の丁家喜弁護士(同年4月に拘束。
現在、懲役3年半を求刑中)と会った際、彼は「いつか活動が成功したら、私と顔さんは民主主義中国の国会議員になろうよ」なんてジョークを口にしていたほど。
そのくらい、自分たちは安全だろうと考えていたのです。
事実、運動への参加者は、
土地を失った農民や
農民工二代(都市部の出稼ぎ者の2世)、
政府への陳情者、
過去の反右派闘争や文化大革命での迫害経験者
といった人たちも大勢いた一方で、
体制に近い人も
かなり多くいました。
特に運動の中心となった組織「公盟」の主要メンバーは、
現役の共産党員や元軍人、月収が1万ドルを超える弁護士や豊かな家庭の出身者など、体制内の人間や「成功者」とみなされがちな人間が多くを占めていたのです。
――顔さん自身もその一人だったと考えていいですね。
ちなみに、あなたは「公盟」内部でどのくらいの地位に位置付けられていましたか。
顔:
民主化運動組織である「公盟」に、明確な上下の序列はありませんが、やはり幹部的な立場はありました。
三国志で例えるなら、提唱者の許志永氏が劉備。
私は……。
関羽や張飛ではありませんが、「趙雲」くらいの位置付けだったと思います。
――幹部としては上位5人に入るくらいですね。
弾圧前の「公盟」には、党内からの支持もあったと聞いていますが。
顔:
はい。
私たち「公盟」の幹部層と、2012年秋に発足する習近平政権で常務委員(最高幹部)入りの可能性が高いとみられていた数名の党高官とは、ある程度の接触がありました。
もちろん高官本人とではなく、彼らの秘書との接触です。
しかし、このことも公盟の弾圧の遠因ともなったようです。
習近平政権の成立にともなう権力闘争に巻き込まれる形で、公盟と新公民運動は壊滅したのです。
私たちはあくまでも、穏健な形での中国の民主化政体への転換と、多党制の実現を目指して活動をおこなっていたのですが――。
――党幹部の腐敗追放、という当時の公盟の主張は、党総書記に就任以降の習近平の主張とよく似ているように見えます。
なぜ弾圧されたと思いますか?
顔:
はい。
だからこそ私たちの活動は弾圧を受けないと考えていました。
実際、2013年2月24日に北京市内で横断幕活動をおこなった際は、やってきたヒラの警官たちが
「いい活動だな」
「うちの公安局に来て、お偉方にも宣伝してやってくれよ」
と声を掛けてきて、上機嫌で宣伝ビラを持って帰っていったくらいでしたから。
しかし、習近平と私たちでは、「腐敗追放」という主張は同じでも目的が異なったようです。
私たちは権力を監督するために主張していたのですが、いっぽうで習近平たちの側は、権力を自分たちで濫用するために腐敗追放を利用したと言えますからね。
――なぜ、かつて中央党校に在籍されていたあなたが、中国共産党とは真逆のイデオロギーである西側式の民主主義者に転向したのですか?
顔:
確かに党校に入学した当時の私は、間違いなく「共産主義戦士」でした。
しかし、西側式の民主主義思想に縁がなかったわけじゃない。
むしろ、普通の中国人よりもそれを深く知れる立場だったのです。
私は政治経済学専攻に属していましたが、そこでは西側の思想やその政治・経済体制を徹底して学ぶことになったのです。
将来の党幹部のタマゴとして、中国の現体制とは矛盾する思想や体制を理解し、それを中国の社会においてどのようにコントロールするかを研究することが必要とされたのですよ。
言うなれば顕教と密教でしょうか。
私たちは「密教」である西側の民主主義思想に自由にアクセスできたわけです。
■共産党幹部は、民主主義の魅力を知っている
――党に忠実な人間とみなされていたからこそ、中国にとっての「危険思想」に触れられたわけですね。
顔:
党校の内部においては、学問の自由が存在しており、あくまでも客観的な目で中国の体制と諸外国の体制を比較研究することができました。
議論もほぼ完全に自由で、リベラルな人もかなり大勢いましたよ。
例えばかつて校内の重職に就いていたD氏は、天安門事件の学生デモの熱心な支持者でしたからね(笑)。
2013年4月に逃亡を開始するまで、私は体制内の人間の一人として、党校の同級生や官僚仲間と普通に交際を結んでいました。
仲間うちではお互い「中国に西側の民主制を導入するには」といった話をごく当然のようにしていましたよ。
当時までの時点で、中国共産党員であり民主化支持者でもあった私の思想的立場は、周囲と比べて極端な「転向者」でも「跳ね返り」でもなかったと言っていいと思います。
ちなみに以前の同級生たちは現在、
優秀な人間は副庁級(全11級に分かれた党幹部階層のうち第6級。地級市の副書記・副市長など)、
他の多くは正・副の処級(第7~8級。県長・県幹部など)くらいのポスト
に就いているはずです。
40代前半のポストですね。
――党のエリート候補生たちが、私的な空間では民間の人たちよりも開明的で「過激」な意見を持っているとは驚きですね。
顔:
外国の視点からは「中国共産党は民主主義を知らない」から、体制を民主化しないように見えるかもしれません。
でも、実は違うんですよ。
内部のキャリアの人間は民主主義を充分に知っているし、それが現体制よりも優れていることも承知している。
ただ、「中国の実態に合わないから」という理由で、その適用を見送ってきたということです。
中国で、西側国家の議会制民主主義のよさを一番ちゃんと知っているのは共産党員です。
見てごらんなさい。
下っ端の小役人から、上は習近平や薄熙来まで、無数の中国共産党員が自分の子弟を西側に留学させているでしょう?
みんな本音ではあっちの社会のほうがいいと考えている何よりの証拠ではないですか(笑)。
』
『
現代ビジネス 2016年07月08日(金) 安田峰俊
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49064
<後編> 元中国共産党エリート官僚が決死の告白
「私が見た、習近平政権下の腐敗、汚職、利権集団」
●前編に続き、共産党政権下の中国の真実をえぐる、顔氏の迫真の証言をお届けする。
■北京五輪後、何かがおかしくなった
――しかし、議会制民主主義を個人の知識として知っていることと、それを中国社会に導入しようと市民運動を起こすこととの間の距離は大きいですよね。
あなたがそのラインを踏み越えたきっかけは何だったのですか?
顔:
私個人に限らず、中国の知識層の多くの人々は、2007~08年ごろまで現体制をやむを得ないものだと考えていたのです。
国家が前に進んでいくためには、相対的に小さな社会問題の解決には目をつむらざるを得ない。
まずは社会の発展だ、とね。
少なくとも経済発展の面において、中国共産党の統治は成果を挙げていましたから。
しかし、その発展の一定の成果の象徴となった北京オリンピックの成功を境に、「何かが変だ」という思いが強まったのです。
以前、安田さん(筆者)から日本の小説『坂の上の雲』の話を聞きましたが、まさにそういうことですよ。
日露戦争なり北京オリンピックなり、新興国がある目標に向かって坂を駆け登っているときは、周囲が見えません。
しかしいざ坂を登り切ってみると、そこにあったのは美しい世界ではなかった。
周囲には濃いモヤがかかっているだけで、行き先がわからない世界が広がっていたのです。
――個人の体験としては、考えが変わる契機はありましたか?
中央党校の修了後、しばらく北京市通州区長の秘書として勤務してから、官界を去っておられますが。
顔:
私個人の要因としては、当時みずから見た中国社会の現状への疑問も大きなものでした。
例えば、私が通州区で勤務していたころ、大稿村と小稿村というふたつの地域の住民を強制退去させて、タバコ会社の建物を作るプロジェクトがおこなわれました。
中国の土地制度上の問題から、土地の自由な売買は許されないため、取り引きの中間には政府機関が入ることになります。
以下、細かい数字を忘れたので「例えば」の話になりますが、政府は住民から1ムー(15分の1ヘクタール)あたり30万元(現在のレートで約460万円)くらいで土地を買い取り、それをタバコ会社に150万元(同、約2300万円)で売りつけるような行為をおこなうわけです。
利ザヤとなった120万元の一部は、利益関係者のあちこちにバラ撒かれ、そのポケットに入っていきます。
土地を差し出した住民はいい面の皮でしょう。
しかし、そんな彼らの陳情を聞くのが私の職務上の立場だったわけです。
社会においてこんなことが許されていいわけがない、と考えるのは自然なことではないでしょうか。
■驚くべき腐敗
――近年は習近平政権下でかなり抑制されているとはいえ、胡錦濤時代の中国の官僚の腐敗は凄まじいものでしたからね。
日本円で億単位の汚職は当たり前で……。
顔:
まだまだ甘いですよ。
私は官僚時代の2007年、広東省のZ市に出張したことがあります。
そこでは現地政府が4.8億元(同、約74億円)で道路を通すプロジェクトをおこなっていたのですが、そのうち総額1.8億元くらいが、業者から様々な官僚に渡る賄賂に化けました。
自分の目で現場を見ましたが、賄賂を現金輸送車で運んでいましたからね。
昔の話とはいえ、本当にメチャクチャでした。
当時は通常、あるプロジェクトの予算の20~30%が賄賂に充てられるのが常でした。
Z市の道路建設などは、実はまだかわいいものです。
空港をひとつ作るプロジェクトになれば、予算規模は数千億元。
凄まじい額の賄賂が発生しますよ。
――民主主義を自由に研究できた党校時代とは大違いの現実ですね。
正義感の強い人ほど、官僚を辞めたくなるでしょう。
顔:
そういうことです。
現状に嫌気がさしたことと、ちょうど自分をかわいがってくれていた上司が移動したことから、官僚に見切りを付けて北京工商大学の教員に転出したのです。
やがて友人たちとともに、北京南駅付近に集まっていた陳情者たちの支援活動をおこなうようになりました。
休日を使って、彼らに服やカップラーメンを差し入れたり、法律的な支援を得る方法を紹介したりする活動です。
今回の逃亡記『「暗黒・中国」からの脱出』に登場する王永紅などの一部の仲間とは、この活動をやっていた頃からの付き合いなのです。
■尖閣侵略は誰の意思か
――ところで、顔さんは官僚時代、中国共産党内ではある派閥の末端に属していたようですね。
派閥にはどうやって入るものなのですか?
顔:
一般論を言うならば、自分をかわいがってくれる上司の下にくっついているうちに、いつの間にかその一員になっているようなイメージでしょうね。
――往年の日本の自民党などですと、派閥の存在は半公然としたもので、
会合が定期的に開かれ、正月には所属議員が派閥の領袖の家に大勢で挨拶に行ったりしたものです。
似たような現象は中国共産党の派閥にも存在するのですか?
顔:
少なくとも中国では、派閥の政治家が一堂に会するイベントが定期的に開催されるようなことはありません。
ある派閥に属すると見られる人間数人が、こっそりと集まるイメージです。
令計画(胡錦濤のかつての腹心。2014年に失脚)が組織していたとされる「西山会」などが、それに該当するかもしれません。
――西山会は令計画の傘下の利権集団のようなもので、もっと大きなくくりで言えば、令自身は「共青団派」(団派)だと見なされていましたよね。
「団派の年末大パーティー」ですとか「上海閥・新年の集い」のような行事は、やはり存在しないのでしょうか?
顔:
いやいや(笑)、さすがにそれはありません。
――習近平政権の成立後、彼と対立する派閥は大きく力を減らしているように見えますが、かつての体制内の人間の目から見て、習近平への権力集中は進んでいると考えますか?
顔:
自分は細かい事情を知れるような立場ではありません。
ただ、習近平への権力集中は進んでいますが、一元化されているわけではないと感じています。
習の背後にはさらに何人かの長老勢力がおり、彼らの影響力は無視できないでしょう。
習の政策がときにチグハグに見えるのは、他に影響を与えている存在がいるからでしょうね。
習のバックグランドとなっている、いわゆる「紅二代」(革命元勲の子弟)の勢力には、例えば
葉剣英の一族、
鄧小平の一族、
毛沢東の一族、
陳雲の一族
……といった「名族」が10家ほど存在します。
すべてを習の意思で動かせるわけでは決してないはずです。
――中華人民共和国は、巨大な同族企業のようなものだと言えますか?
顔:
建国から67年が過ぎようとしていますから、「紅二代」以外でも大きな権力を握った人物がいます。
例えば周永康(元公安司法部門トップ、2014年7月に失脚)や徐才厚(元軍制服組トップ、2014年6月に党籍剥奪)がそうです。
ただし、彼らの失脚は、習近平と「紅二代」たちが奪権を企図した結果だと言えるでしょうね。
実のところ、習近平の就任前には、私たち民主化主義者は彼に非常に期待していました。
中国の社会は徐々に自由にしていく方向しかない。
ゆえに、彼は政治改革をおこなうだろうと。
しかし、現実は予想をあまりにも残酷に裏切ることになりました。
――「すべてが習近平の意思で動いているわけではない」とのことですが、ここ数か月間の尖閣諸島をはじめとした日本周辺海域における中国軍の挑発的な動きも、やはり別の誰かの意思が反映されているのでしょうか。
顔:
これについては、おそらく習近平自身の意思です。
彼個人の権力基盤を強化するためにおこなっているはずでしょう。
中国の権力者は、軍事行動をおこなわなくては軍を心服させられないからです。
例えば過去、鄧小平の権力を強化したのは1979年の中越戦争でした。
江沢民の場合も、六四天安門事件の軍事鎮圧をおこなった権力基盤にそのまま横滑りしたことが、結果的に軍からの支持につながりました。
一方で胡錦濤の場合、彼は退任まで「弱い指導者」であり続けましたが、その一因は明確な軍事行動を起こせなかったことに求められるはずです。
一言で言えば、習近平は近隣諸国から見ても国内外の中国民主化主義者から見ても、極めて危険な存在、ということなのです。
』
【自ら孤立化を選ぶ中国の思惑】
●【中国経済崩壊 】中国経済破綻寸前の実態 その2 宮崎正弘
現代ビジネス 2016年07月08日(金) 安田峰俊
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49063
<前編>元中国共産党エリート官僚の告白
「中国の民主化運動は、こうして習近平政権につぶされた」
■証言から浮かび上がる、習近平政権の危うさ
東シナ海での中国軍艦による領海侵犯や、中国軍機が自衛隊機への攻撃動作を仕掛けたことが一部で報じられるなど、中国はここ数か月間、日本に対して極めて威嚇的な行為を繰り返すようになった。
また、国内政治の面でも人権派弁護士の大量拘束や、メディア関係者への締め付けに代表される言論統制の強化が進み、中国国内の知識人の間には重苦しい空気が垂れこめている。
こうした習近平政権の締め付けに耐えかね、約2年間におよぶ中国国内での逃亡を経て、2015年2月にタイへ亡命した顔伯鈞という民主活動家がいる。
かつて党内の若手エリートでもあった彼は、今年6月20日に逃亡の経緯を記した手記『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)を日本で刊行することとなった。
中国本土の各省をはじめ、香港やチベット、ミャンマー国境の軍閥支配地まであちこちを逃げ回るストーリーは、まさに驚くべきものだ。
詳しい逃亡の経緯は書籍の内容に譲るとして、本記事では元エリート党員で元官僚でもあった顔伯鈞に、往年の中国国内での民主化運動や中国共産党の内部事情、現在の習近平政権の性質について語ってもらうことにした。
彼の逃亡記の編訳者でもある私(安田峰俊)との対談で浮かび上がるのは、国内外に強面(こわもて)で望む習近平政権と共産党体制の、意外なまでの不安定さと危うさであった――。
■北京から逃亡した理由
――まずは改めて自己紹介と、逃亡のきっかけについてご説明をお願いいたします。
顔:
私の名は顔伯鈞。
1974年湖南省生まれで、かつては中国共産党員として中央党校(党の最高教育機関)政治経済学専攻の修士課程で学び、その後に地方政府の秘書や、北京工商大学の副教授として働くなかで、民主化陣営に身を投じた人間です。
ながらく当局に追われ続け、いまやタイで「不法滞在」の政治亡命者の身です。
ずっと党費を払っていませんから、すでに党籍は消えているでしょうね。
逃亡のきっかけは、2012年の春から活発化した「新公民運動」という体制改革運動でした。
法学者で人権活動家の許志永氏(現在は懲役4年)の提唱で始まった運動です。
中国の社会問題を考えたい市民が、ネットの呼びかけに応じて月に1回の「食事会」を開く活動が主で、一時は中国全土で約10万人が参加する大きなムーブメントになったものです。
2013年初頭からは、仲間たちで街頭に出て、党官僚の財産公開を要求する横断幕を掲げる活動もおこないました。
しかし、これに先立つ2012年末ごろから、習近平政権が運動を警戒しはじめました。
やがて2013年4月に、親しい活動仲間が次々と拘束される事態が発生。
私はこれを見て、北京からの逃亡を選びました。
■権力闘争に巻き込まれ…
――穏健な「食事会」と街頭活動を理由に弾圧とはひどい話です。
しかし、中国において社会運動がこうした結果を迎えることは、想像に難くないとも言えます。
恵まれた地位にあったあなたが、なぜそんなに「危険」な運動に関わったのですか?
顔:
弾圧の直前まで、「危険」という認識は薄かったのです。
私たちは党体制に公然と反対する主張は打ち出さず、完全に現在の中国の法律の枠組み内で活動をしていました。
客観的に見れば、弾圧を受ける根拠はまったくなかったですからね。
私が2013年1月に仲間の丁家喜弁護士(同年4月に拘束。
現在、懲役3年半を求刑中)と会った際、彼は「いつか活動が成功したら、私と顔さんは民主主義中国の国会議員になろうよ」なんてジョークを口にしていたほど。
そのくらい、自分たちは安全だろうと考えていたのです。
事実、運動への参加者は、
土地を失った農民や
農民工二代(都市部の出稼ぎ者の2世)、
政府への陳情者、
過去の反右派闘争や文化大革命での迫害経験者
といった人たちも大勢いた一方で、
体制に近い人も
かなり多くいました。
特に運動の中心となった組織「公盟」の主要メンバーは、
現役の共産党員や元軍人、月収が1万ドルを超える弁護士や豊かな家庭の出身者など、体制内の人間や「成功者」とみなされがちな人間が多くを占めていたのです。
――顔さん自身もその一人だったと考えていいですね。
ちなみに、あなたは「公盟」内部でどのくらいの地位に位置付けられていましたか。
顔:
民主化運動組織である「公盟」に、明確な上下の序列はありませんが、やはり幹部的な立場はありました。
三国志で例えるなら、提唱者の許志永氏が劉備。
私は……。
関羽や張飛ではありませんが、「趙雲」くらいの位置付けだったと思います。
――幹部としては上位5人に入るくらいですね。
弾圧前の「公盟」には、党内からの支持もあったと聞いていますが。
顔:
はい。
私たち「公盟」の幹部層と、2012年秋に発足する習近平政権で常務委員(最高幹部)入りの可能性が高いとみられていた数名の党高官とは、ある程度の接触がありました。
もちろん高官本人とではなく、彼らの秘書との接触です。
しかし、このことも公盟の弾圧の遠因ともなったようです。
習近平政権の成立にともなう権力闘争に巻き込まれる形で、公盟と新公民運動は壊滅したのです。
私たちはあくまでも、穏健な形での中国の民主化政体への転換と、多党制の実現を目指して活動をおこなっていたのですが――。
――党幹部の腐敗追放、という当時の公盟の主張は、党総書記に就任以降の習近平の主張とよく似ているように見えます。
なぜ弾圧されたと思いますか?
顔:
はい。
だからこそ私たちの活動は弾圧を受けないと考えていました。
実際、2013年2月24日に北京市内で横断幕活動をおこなった際は、やってきたヒラの警官たちが
「いい活動だな」
「うちの公安局に来て、お偉方にも宣伝してやってくれよ」
と声を掛けてきて、上機嫌で宣伝ビラを持って帰っていったくらいでしたから。
しかし、習近平と私たちでは、「腐敗追放」という主張は同じでも目的が異なったようです。
私たちは権力を監督するために主張していたのですが、いっぽうで習近平たちの側は、権力を自分たちで濫用するために腐敗追放を利用したと言えますからね。
――なぜ、かつて中央党校に在籍されていたあなたが、中国共産党とは真逆のイデオロギーである西側式の民主主義者に転向したのですか?
顔:
確かに党校に入学した当時の私は、間違いなく「共産主義戦士」でした。
しかし、西側式の民主主義思想に縁がなかったわけじゃない。
むしろ、普通の中国人よりもそれを深く知れる立場だったのです。
私は政治経済学専攻に属していましたが、そこでは西側の思想やその政治・経済体制を徹底して学ぶことになったのです。
将来の党幹部のタマゴとして、中国の現体制とは矛盾する思想や体制を理解し、それを中国の社会においてどのようにコントロールするかを研究することが必要とされたのですよ。
言うなれば顕教と密教でしょうか。
私たちは「密教」である西側の民主主義思想に自由にアクセスできたわけです。
■共産党幹部は、民主主義の魅力を知っている
――党に忠実な人間とみなされていたからこそ、中国にとっての「危険思想」に触れられたわけですね。
顔:
党校の内部においては、学問の自由が存在しており、あくまでも客観的な目で中国の体制と諸外国の体制を比較研究することができました。
議論もほぼ完全に自由で、リベラルな人もかなり大勢いましたよ。
例えばかつて校内の重職に就いていたD氏は、天安門事件の学生デモの熱心な支持者でしたからね(笑)。
2013年4月に逃亡を開始するまで、私は体制内の人間の一人として、党校の同級生や官僚仲間と普通に交際を結んでいました。
仲間うちではお互い「中国に西側の民主制を導入するには」といった話をごく当然のようにしていましたよ。
当時までの時点で、中国共産党員であり民主化支持者でもあった私の思想的立場は、周囲と比べて極端な「転向者」でも「跳ね返り」でもなかったと言っていいと思います。
ちなみに以前の同級生たちは現在、
優秀な人間は副庁級(全11級に分かれた党幹部階層のうち第6級。地級市の副書記・副市長など)、
他の多くは正・副の処級(第7~8級。県長・県幹部など)くらいのポスト
に就いているはずです。
40代前半のポストですね。
――党のエリート候補生たちが、私的な空間では民間の人たちよりも開明的で「過激」な意見を持っているとは驚きですね。
顔:
外国の視点からは「中国共産党は民主主義を知らない」から、体制を民主化しないように見えるかもしれません。
でも、実は違うんですよ。
内部のキャリアの人間は民主主義を充分に知っているし、それが現体制よりも優れていることも承知している。
ただ、「中国の実態に合わないから」という理由で、その適用を見送ってきたということです。
中国で、西側国家の議会制民主主義のよさを一番ちゃんと知っているのは共産党員です。
見てごらんなさい。
下っ端の小役人から、上は習近平や薄熙来まで、無数の中国共産党員が自分の子弟を西側に留学させているでしょう?
みんな本音ではあっちの社会のほうがいいと考えている何よりの証拠ではないですか(笑)。
』
『
現代ビジネス 2016年07月08日(金) 安田峰俊
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49064
<後編> 元中国共産党エリート官僚が決死の告白
「私が見た、習近平政権下の腐敗、汚職、利権集団」
●前編に続き、共産党政権下の中国の真実をえぐる、顔氏の迫真の証言をお届けする。
■北京五輪後、何かがおかしくなった
――しかし、議会制民主主義を個人の知識として知っていることと、それを中国社会に導入しようと市民運動を起こすこととの間の距離は大きいですよね。
あなたがそのラインを踏み越えたきっかけは何だったのですか?
顔:
私個人に限らず、中国の知識層の多くの人々は、2007~08年ごろまで現体制をやむを得ないものだと考えていたのです。
国家が前に進んでいくためには、相対的に小さな社会問題の解決には目をつむらざるを得ない。
まずは社会の発展だ、とね。
少なくとも経済発展の面において、中国共産党の統治は成果を挙げていましたから。
しかし、その発展の一定の成果の象徴となった北京オリンピックの成功を境に、「何かが変だ」という思いが強まったのです。
以前、安田さん(筆者)から日本の小説『坂の上の雲』の話を聞きましたが、まさにそういうことですよ。
日露戦争なり北京オリンピックなり、新興国がある目標に向かって坂を駆け登っているときは、周囲が見えません。
しかしいざ坂を登り切ってみると、そこにあったのは美しい世界ではなかった。
周囲には濃いモヤがかかっているだけで、行き先がわからない世界が広がっていたのです。
――個人の体験としては、考えが変わる契機はありましたか?
中央党校の修了後、しばらく北京市通州区長の秘書として勤務してから、官界を去っておられますが。
顔:
私個人の要因としては、当時みずから見た中国社会の現状への疑問も大きなものでした。
例えば、私が通州区で勤務していたころ、大稿村と小稿村というふたつの地域の住民を強制退去させて、タバコ会社の建物を作るプロジェクトがおこなわれました。
中国の土地制度上の問題から、土地の自由な売買は許されないため、取り引きの中間には政府機関が入ることになります。
以下、細かい数字を忘れたので「例えば」の話になりますが、政府は住民から1ムー(15分の1ヘクタール)あたり30万元(現在のレートで約460万円)くらいで土地を買い取り、それをタバコ会社に150万元(同、約2300万円)で売りつけるような行為をおこなうわけです。
利ザヤとなった120万元の一部は、利益関係者のあちこちにバラ撒かれ、そのポケットに入っていきます。
土地を差し出した住民はいい面の皮でしょう。
しかし、そんな彼らの陳情を聞くのが私の職務上の立場だったわけです。
社会においてこんなことが許されていいわけがない、と考えるのは自然なことではないでしょうか。
■驚くべき腐敗
――近年は習近平政権下でかなり抑制されているとはいえ、胡錦濤時代の中国の官僚の腐敗は凄まじいものでしたからね。
日本円で億単位の汚職は当たり前で……。
顔:
まだまだ甘いですよ。
私は官僚時代の2007年、広東省のZ市に出張したことがあります。
そこでは現地政府が4.8億元(同、約74億円)で道路を通すプロジェクトをおこなっていたのですが、そのうち総額1.8億元くらいが、業者から様々な官僚に渡る賄賂に化けました。
自分の目で現場を見ましたが、賄賂を現金輸送車で運んでいましたからね。
昔の話とはいえ、本当にメチャクチャでした。
当時は通常、あるプロジェクトの予算の20~30%が賄賂に充てられるのが常でした。
Z市の道路建設などは、実はまだかわいいものです。
空港をひとつ作るプロジェクトになれば、予算規模は数千億元。
凄まじい額の賄賂が発生しますよ。
――民主主義を自由に研究できた党校時代とは大違いの現実ですね。
正義感の強い人ほど、官僚を辞めたくなるでしょう。
顔:
そういうことです。
現状に嫌気がさしたことと、ちょうど自分をかわいがってくれていた上司が移動したことから、官僚に見切りを付けて北京工商大学の教員に転出したのです。
やがて友人たちとともに、北京南駅付近に集まっていた陳情者たちの支援活動をおこなうようになりました。
休日を使って、彼らに服やカップラーメンを差し入れたり、法律的な支援を得る方法を紹介したりする活動です。
今回の逃亡記『「暗黒・中国」からの脱出』に登場する王永紅などの一部の仲間とは、この活動をやっていた頃からの付き合いなのです。
■尖閣侵略は誰の意思か
――ところで、顔さんは官僚時代、中国共産党内ではある派閥の末端に属していたようですね。
派閥にはどうやって入るものなのですか?
顔:
一般論を言うならば、自分をかわいがってくれる上司の下にくっついているうちに、いつの間にかその一員になっているようなイメージでしょうね。
――往年の日本の自民党などですと、派閥の存在は半公然としたもので、
会合が定期的に開かれ、正月には所属議員が派閥の領袖の家に大勢で挨拶に行ったりしたものです。
似たような現象は中国共産党の派閥にも存在するのですか?
顔:
少なくとも中国では、派閥の政治家が一堂に会するイベントが定期的に開催されるようなことはありません。
ある派閥に属すると見られる人間数人が、こっそりと集まるイメージです。
令計画(胡錦濤のかつての腹心。2014年に失脚)が組織していたとされる「西山会」などが、それに該当するかもしれません。
――西山会は令計画の傘下の利権集団のようなもので、もっと大きなくくりで言えば、令自身は「共青団派」(団派)だと見なされていましたよね。
「団派の年末大パーティー」ですとか「上海閥・新年の集い」のような行事は、やはり存在しないのでしょうか?
顔:
いやいや(笑)、さすがにそれはありません。
――習近平政権の成立後、彼と対立する派閥は大きく力を減らしているように見えますが、かつての体制内の人間の目から見て、習近平への権力集中は進んでいると考えますか?
顔:
自分は細かい事情を知れるような立場ではありません。
ただ、習近平への権力集中は進んでいますが、一元化されているわけではないと感じています。
習の背後にはさらに何人かの長老勢力がおり、彼らの影響力は無視できないでしょう。
習の政策がときにチグハグに見えるのは、他に影響を与えている存在がいるからでしょうね。
習のバックグランドとなっている、いわゆる「紅二代」(革命元勲の子弟)の勢力には、例えば
葉剣英の一族、
鄧小平の一族、
毛沢東の一族、
陳雲の一族
……といった「名族」が10家ほど存在します。
すべてを習の意思で動かせるわけでは決してないはずです。
――中華人民共和国は、巨大な同族企業のようなものだと言えますか?
顔:
建国から67年が過ぎようとしていますから、「紅二代」以外でも大きな権力を握った人物がいます。
例えば周永康(元公安司法部門トップ、2014年7月に失脚)や徐才厚(元軍制服組トップ、2014年6月に党籍剥奪)がそうです。
ただし、彼らの失脚は、習近平と「紅二代」たちが奪権を企図した結果だと言えるでしょうね。
実のところ、習近平の就任前には、私たち民主化主義者は彼に非常に期待していました。
中国の社会は徐々に自由にしていく方向しかない。
ゆえに、彼は政治改革をおこなうだろうと。
しかし、現実は予想をあまりにも残酷に裏切ることになりました。
――「すべてが習近平の意思で動いているわけではない」とのことですが、ここ数か月間の尖閣諸島をはじめとした日本周辺海域における中国軍の挑発的な動きも、やはり別の誰かの意思が反映されているのでしょうか。
顔:
これについては、おそらく習近平自身の意思です。
彼個人の権力基盤を強化するためにおこなっているはずでしょう。
中国の権力者は、軍事行動をおこなわなくては軍を心服させられないからです。
例えば過去、鄧小平の権力を強化したのは1979年の中越戦争でした。
江沢民の場合も、六四天安門事件の軍事鎮圧をおこなった権力基盤にそのまま横滑りしたことが、結果的に軍からの支持につながりました。
一方で胡錦濤の場合、彼は退任まで「弱い指導者」であり続けましたが、その一因は明確な軍事行動を起こせなかったことに求められるはずです。
一言で言えば、習近平は近隣諸国から見ても国内外の中国民主化主義者から見ても、極めて危険な存在、ということなのです。
』
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●【中国経済崩壊 】中国経済破綻寸前の実態 その2 宮崎正弘
●【中国経済崩壊 】中国経済破綻寸前の実態 その1 宮崎正弘