2016年8月8日月曜日

象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉【全文】

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● 前半部


日本テレビ系(NNN) 8月8日(月)15時47分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160808-00000065-nnn-soci

天皇陛下「お気持ち」表明 【全文】
象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉

 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。
 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
 伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。
 既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
 しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。

 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
 こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。
 そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
 国民の理解を得られることを、切に願っています。




ロイター 2016年 08月 10日 09:52 JST
http://jp.reuters.com/article/column-emperor-ageing-japan-idJPKCN10K0G5?sp=true

コラム:「高齢化日本」を象徴する天皇陛下

[香港 8日 ロイター BREAKINGVIEWS] -
 日本の天皇陛下が、象徴としてのお務めについてお気持ちを表明したことは、世界で最も急速に高齢化が進む経済大国にとって憂慮すべきことかもしれない。

 82歳の天皇陛下は8日、
 「次第に進む身体の衰えを考慮すると、全身全霊で象徴の務めを果たすことが難しくなるのではないかと案じている」
と話された。
 陛下は唯一無二のお立場にあられるが、国民の高齢化も急速に進んでいる。
 その影響は、労働習慣から金融政策に至るまで多岐にわたる。

 成熟期にある世界各国は、日本の経験を注視する必要があるだろう。

 2008年のピーク時には約1億2800万人だった日本の人口は、
 2050年までには約9700万人に減少する見通しだ。
 昨年の国土形成計画によると、人口の4分の1以上がすでに65歳を超えており、日本は世界で「最も高齢な社会」となっている。

 2050年までに、総人口に占める高齢者の割合は約4割に上ると予測されている。
 生産年齢人口に対する老年人口の比率を示す老年人口指数は75%に上昇するとみられる。
 財界も長老に支配されている。
 英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙が行った昨年の分析によると、日本企業の最高経営責任者の平均年齢は60歳以上だった。

 財政的・社会的な影響は広範囲に及ぶ。
 東京が膨張する一方で、他の小さな市町村では過疎化が進む。
 現在住民のいる地域の約5分の1は、2050年に無人化する可能性がある。
 他の地域でも、店舗や病院、その他サービスが消えるかもしれない。
 そこで日本は、国家規模の米ミシガン州デトロイトのように、
 すっきりと規模縮小する方法
を見いださなくてはならない。

 少子高齢化社会はインフレと成長を困難にさせ、社会保障費は上がるのに税収は落ち込むなか、国庫に負担を強いる。
 解決策の1つは移民だが、日本はあまり受け入れる気はなく、
 女性の労働力参加や
 定年退職年齢の引き上げ、
そして高齢者介護の負担を和らげる方向に向かっている。
 こうしたことは、企業行動にも変化をもたらしている。
 国内の衰退から距離を置くべく、大手企業はバーボンから新聞まで幅広い海外の大規模買収に走っている。

 オートメーションやロボット、医療などの分野におけるイノベーションを促進することが肝要だ。
 他国もあまりに無関心ではいられないはずだ。
 同様の運命が他の多くの国々にも待ち受けている。
 そのなかには、25年遅れで同じような人口動態の弧を描く欧州各国と中国も含まれる。

 天皇陛下の生前退位の可能性から得られるいかなる教訓も象徴的なものであろう。
 しかしそれは、高齢化する世界の未来を日本が垣間見せる多くの事例の1つとなるかもしれない。

*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。



BBC News 2016年08月09日(Tue)  BBC News
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7509

天皇陛下について10のこと

 日本の皇室はかつて国民から遠くかけ離れた存在だった。
 1945年8月15日の玉音放送で初めて昭和天皇の声を聞いた多くの国民が、衝撃を受けたほどだ。
 息子の今上天皇は、皇室がより親しみやすい、憲法が規定するような「日本国民統合の象徴」となるよう、改革に取り組んできた。
 8日の「お気持ち」表明で、象徴天皇の立場を譲位したいとかつてないほど強く示唆した天皇陛下について、10のことを振り返る。

1. 家系はとても古い

 1933年12月23日に生まれた陛下は、第125代天皇。
 家系は2600年以上前までさかのぼるとされ、世界最古の現存する世襲制王室・皇室だ。
 格式を厳しく重んじる皇室の伝統にのっとり、2歳から両親のもとを離れ、赤坂離宮構内の東宮仮御所で育てられた。

2. しかしその結婚は伝統を破るものだった

 皇太子だった陛下は1959年、1500年来の伝統を破り、平民出身の女性、正田美智子さんと結婚した。
 軽井沢のテニスコートで出会ったため「テニスコートのロマンス」と呼ばれた。
 ご夫妻には子供3人と孫4人がいる。

3. 「菊の玉座」に座る

 天皇家の家紋は、16花弁の八重菊だ。
 これを受けて、英語記事ではしばしば天皇位のことを「Chrysanthemum Throne」(菊の玉座)と表現する。
 1989年1月に昭和天皇が死去したのに伴い、今上天皇は即位したが、即位の儀式が完了するまでには2年近くかかった。
 伝統的に皇室の先祖とされる太陽の女神・天照大神(アマテラスオオミカミ)を祭る伊勢神宮での儀式も、即位のための手続きの一環だった。

4. 神ではない

 第2次世界大戦で日本が降伏した後、昭和天皇は「現人神」としての神格を公式に否定した。
 終戦直後に連合軍総司令部(GHQ)が起草した日本国憲法は、天皇を国の「象徴」と規定しており、皇室もそれを守ってきた。
 8日の「お気持ち」でも、
 「象徴天皇の務め」「象徴としての役割」「天皇という象徴の立」
などの表現が繰り返された。
 一方で日本国内には今でも少数ながら、天皇は神である、あるいは少なくとも神として扱うべきと主張する人もいる。

5. ブッシュ米大統領とテニスをしたことがある

 歴代の天皇とは比べものにならないほど、陛下は数多くの国を訪れ、外国要人と交流している。
 1998年には、日本軍の戦争捕虜になった一部の元英国兵の抗議を押して、英国を公式訪問。
 エリザベス女王と会談し、公式晩餐会に出席している。

 米国のジョージ・H・W・ブッシュ氏と2度にわたりテニスをし、2度とも勝っている。
 ただし、1992年に大統領として訪米したブッシュ氏は、試合から間もなく公式晩餐会で体調を崩し、その場で宮沢喜一首相の上に嘔吐する事態となった。

6. 健康が衰えつつある

 2003年に前立腺がん、
 2012年に心臓の冠動脈バイパス手術
を受けている。

7. 女子高生が写真をツイッターに

 陛下は歴代天皇よりもはるかに頻繁に国内を旅行し、市民ときさくに語らい、国民と皇室の距離を縮めるために努力を重ねてきた。
 2014年に私的な旅行で栃木県を訪れた際、女子高校生が写真を撮っても、両陛下は気にする様子はなかった。
 ただし女子高生がこの時の写真をツイッターに投稿したところ、国民の間では議論になった。
 年齢が上の人ほど非常に失礼なことだと反応しがちだったが、多くの若者にとってはこれといってどうということのない、普通のことだった。

8. 震災後、きわめて大事な存在だった

 2011年3月16日、東日本大震災の発生から5日後に、陛下は初めてテレビ放映されたビデオメッセージを通じて国民に直接語りかけた。
 今回の「お気持ち」と同様、丁寧ながらも分かりやすい表現で、
 「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」
と述べた。
 常に控えめな表現で知られる陛下は、福島第一原発の事故についても
 「事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています」
と抑制的に触れた。
 天皇ご夫妻は震災の翌月には被災各地を訪れ、避難所の床に膝をついて被災者と語らった。
 その姿は、苦しむ国民に寄り添う気持ちを表すものだと、広く受け止められた。

9. 日本を前進させた

 第2次世界大戦が父・昭和天皇の名のもとに戦い、敗れた戦争だったのと対照的に、今上天皇は平和で対立しない時代の日本を導いた。
 昨年8月15日の全国戦没者追悼式では
 「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
と述べている。

10. 自分の名前にちなんだ魚がいる

 海洋生物学の研究を熱心に続けてきた陛下は、ハゼの研究が専門。
 ハゼの一種「エクシリアス・アキヒト (Exyrias Akihito) 」は、陛下の名前「明仁」にちなんで命名された。
 日本魚類学会の魚類学雑誌など学術誌にたびたび、論文を寄稿している。

 ご夫妻が住む吹上御所の敷地内の大半は自然に近い状態で管理されており、陛下自身が生き物の観察記録をとっているという。

(英語記事 Japan's Emperor Akihito: Ten things you may not know)

提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37019179









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