2016年9月12日月曜日

日本は恐ろしい(9):生死のかかった緊急事態でも交通法規を守る!法治意識の恐ろしさ

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サーチナニュース 2016-09-11 13:35
http://news.searchina.net/id/1618478?page=1

日本人はすごい・・・
生死のかかった緊急事態でも交通法規を遵守=中国

 人は往々にして切羽詰まった時にこそ、その本質が見えるものだ。
 日本人はルールを守る国民性と言われるが、2011年に発生した東日本大震災においても、日本人がルールと秩序を守っていたことは広く知られている。

 中国メディアの法制網電は7日、中国で法律学を教えている1人の大学教授が、日本旅行の際に聞いたという
 「東日本大震災発生時における日本人の道路交通マナー」
を絶賛する記事を掲載した。

 記事によれば、この大学教授は日本旅行の際、東日本大震災発生直後の話を聞いたという。
 日本のドライバーたちは生死を分ける緊急避難の際にも信号機の指示に従い、赤信号の前で停止したという経験を耳にしたようだ。
この教授は、
 日本人ドライバーの1人が「交通信号を遵守してこそ助かる機会は平等になる」、
 「もし自分が事故を起こせばすべての人が助からなくなる」
と述懐していることも知ったという。

 教授は
 「このドライバーは意識していないかもしれないが、彼は実際には法治理論に則った行動を取った」
と絶賛。
 記事によれば「規則の遵守は、法治の最高表現である」と教授は説明、さらに東日本大震災のような「危機のときこそ交通規則の遵守が求められる」と指摘。
 教授はまた
 「法治は社会を公正にするだけでなく、
 機会の平等を実現し、
 管理効果を最大化し、
 コストを最小化するもの」
とも説明した。

 「法治は管理効果を最大化しコストを最小化する」
という説明だが、これはまさに1人の日本人ドライバーがコメントした「もし自分が事故を起こせばすべての人が助からなくなる」という点に当てはまるだろう。
 生死のかかった緊急事態で日本人が交通法規を遵守したという話は、法律学を教える中国人教授の心を深く打ったようだ。
 そして日本人は法治の精神について、大学で教えられずとも、それを体現している民族であることもよく理解できたに違いない。

 みんなが守っての法である。
 仲裁裁判所の決定を「紙くず」と切って捨てることもできるのだが、それでは何時か立ち行かなくなる。


サーチナニュース 2016-09-12 08:09
http://news.searchina.net/id/1618486?page=1

これが「真実の日本」だ!
公正と正義が最大レベルで実現されている=中国

 日本と中国は距離的に言えば非常に近い国同士と言って良い。
 それでも文化や考え方においては非常に違っていると感じる日本人は大勢いるだろう。
 同時に、日本には中国が持っていない素晴らしい長所が数多くあると感じる中国人もいる。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、「真実の日本」と題して、日本人の生活の日常を紹介する記事を掲載している。
 日本人の日常であるため、日本人からすれば何ら驚きではないことでも、中国人からすれば驚き以外の何ものでもないことは多いことが分かる内容となっている。

 記事は、休日のあるテーマーパークにベビーカーが「整然」と並べられている様子を紹介。
 中国であれば「ただ置いてある」状況になるであろうものが、日本では「整然」と並ぶことを称賛した。
 また日本の街中は非常に清潔であり、日本人の公徳心の高さが明確に反映されていることを紹介しつつ、「日本では野良猫まで非常に清潔」と指摘した。

 さらに、日本社会では
 「法律意識や道徳・節操が浸透しており、公正と正義が最大レベルで実現されている」
と絶賛。
 記事はその事例の1つとして、横断歩道を渡るやや高齢の女性の写真を掲載。
 この女性は信号が赤になった時点で横断歩道を渡りきれていなかったが、信号待ちの車両はクラクションを鳴らすことも動き出すこともなく、女性が横断歩道を渡り終えるのをじっと静かに待っていると説明した。

 日本社会には「公正と正義が最大レベルで実現されている」という記事の称賛を、中国社会の生活や習慣を知っている人は決して過大評価とはみなさないはずだ。
 例えば中国の交差点では自動車は常時右折が可能だが、それでも歩行者が横断歩道を横断しているとき、自動車は一時停止しなければならないと中国の法律によって義務付けられている。
 しかしこの法律を守る中国のドライバーを見つけるのは相当困難であることに、おそらくほぼすべての中国人が同意するだろう。



サーチナニュース 2016-09-26 07:49
http://news.searchina.net/id/1619421?page=1

日本人は現代的じゃないのか?
日本でガラケーが今なお人気の理由=中国

 ピュー・リサーチ・センターが13日に発表した日本、中国、インド、オーストラリアの4カ国間における好感度調査によれば、調査対象となった日本人の25%が中国人を「modern(現代的である)」と評価、対照的に調査対象となった中国人の50%が日本人を「modern」と評価した。

 しかし日本人の多くが依然としてフィーチャーフォンまたはガラケーと呼ばれるスマートフォン以前の携帯電話を使用しているという事実は、日本人を現代的と評価する中国人にとって理解しがたい現象と言えるかもしれない。
 中国メディアの今日頭条はこのほど、日本におけるフィーチャーフォン人気の理由について考察している。

 記事は、日本で今でもフィーチャーフォンが人気である理由として、
★.画面がスマートフォンよりも小さくプライバシー保護に有利であること、
★.フィーチャーフォンの機能で十分ニーズが満たされること、
★.折りたたみ可能なフィーチャーフォンは気軽にポケットに収納できること、
★.ボタンを使った入力方式が日本語にマッチしていることや
★.キーボードの実体感覚が好まれること
などを指摘した。

 さらに、折りたたみ式のフィーチャーフォンを閉じる時に生じる音やその動作が日本人にとっては「とてもかっこよく」感じられるのではないかと考察。
 また、
★.フィーチャーフォンはアプリを使用しないためスマートフォンよりも連続使用可能時間が長い
という点なども取り上げ、
★.そして簡単にマナーモードの切り替えができる点も
 他人への配慮を重視する日本文化にとって非常に重要な特徴である
と説明した。

 フィーチャーフォンはガラケーとも呼ばれるが、ガラケーという言葉には「ガラパゴス携帯」つまりガラパゴス諸島の生態系のように日本という閉ざされた環境で独自進化を遂げた携帯という意味がある。
 ガラパゴス化というビジネス用語は消極的なイメージがあるが、ガラケーに限っては日本市場で今も多くのシェアを獲得している。

 角度を変えて日本のフィーチャーフォン人気を分析すると、世界的なスマートフォンの流行に負けない強さがあるという見方もできる。
★.一定数の日本人がフィーチャーフォンの機能で満足しているという状況は、
 日本人は新しさを吸収、創出する能力に加えて、
 物事の本質を見抜き、それを大切にするという特長も有していること
を示しているのかもしれない。


サーチナニュース 2016-09-28 09:35
http://news.searchina.net/id/1619646?page=1

日本は一体大きいのか小さいのか
・・・いずれにせよ、強く警戒しなければならない=中国メディア

 日本の特定非営利活動法人「言論NPO」が23日に発表した日中共同の世論調査の結果で、現在の日中関係が「悪い」もしくは「どちらかといえば悪い」との回答が日本世論、中国世論いずれも70%を超えたことが明らかになった。
 政治的な対立は、日中両国市民の感情にも少なからぬ影響を与えているようだ。

 中国メディア・東方網は24日、「日本は一体大きいのか、小さいのか」とする記事を掲載した。
 記事は、安倍晋三首相について
 「打ち出す政策や、国際的な場での発言から、野心が非常に大きい指導者であると見ることができる」
と説明。
 「では、安倍晋三率いる日本の現状は『小』なのか『大』なのか」と問題提起した。

 そのうえで、安倍首相の政策を「対外的にも対内的にも絶えずゴロゴロと寝返りを打つ状態であり、特にフィリピンやベトナム、ミャンマーなどの国に対して軍事支援を行い、東南アジア諸国を引き込もうとさえしている」と説明した。
 また、国土は小さいものの世界で1、2を争う技術を多く持ち、世界から船舶や電子類などの注文を数多く受けている日本が今、軍需工業を開放し始めていると主張している。

 そして、日本と中国との関係は世界的に注目され続けており、中国の近年における破竹の勢いの発展による関係変化をはじめ、両国間の関係が変わるたびにアジアの戦略構図に影響が生じると説明。
 このような状況において「国としては、備えあれば憂いなしが基本的な政策」であるとし、「中国は経済力、軍事力を穏やかに向上させる状況を確保してこそ、不敗の地に立つことができるのである」と論じた。

 結局のところ、日本が小さかろうが大きかろうが、中国としてはいつ何が起こってもいいように経済力と軍事力を高め、警戒を続けることが最も重要だ、という主張のようである。
 中国の急成長により、確かに東アジアにおける勢力構図は変化を余儀なくされている。
 新たなバランスを取るうえで、物理的な衝突を回避することができるのか。
 それは、日本と中国をはじめとする関係各国の知恵と努力、協力次第だろう。







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